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2011年3月のアーカイブ

目黒区に震災への緊急対応の申し入れ

3月17日、日本共産党目黒区議団は、目黒区長に対して震災への緊急対応の申し入れを行いました。わたしも区議団と共に、申し入れに同行してきました。

11日に発生した東北地方太平洋地震は、甚大な被害をもたらしています。区内でも地震による影響は、住宅の破損や断水などの事態が生じています。また東京電力の原子力発電所の被災による電力供給量低下のため計画停電や、ガソリン不足、流通問題や買いだめでの食品不足など区民生活に重大な影響を及ぼしています。さらに今後予想される余震や、原子力災害への不安も広がっています。改めて、震災対策の強化が求められています。

【7項目 申し入れ内容】
1.土・日曜日を含めて24時間の「震災相談窓口(電話)」を開設し、区民の相談を受けること。
2.東北地方などで、被災している区民がいないか調査し、相談に応じる担当をつくること。
3.災害弱者の総訪問活動を、民生委員などの協力を得て行うこと。
4.認可外保育園の閉園やデイサービスの中止、学校給食の中止など区民生活に出ている影響を集約して必要な対策をとること。
5.区内の民間建物の被害状況を区の職員が収集し、対策を行うこと。
6.地震による建物被害が多数出ており、震災での修築に付いては「リフォーム助成」の枠を拡大して使えるよう整備すること。
7.計画停電や原子力災害について、正確な情報を収集し、速やかに区民に情報提供をできるよう対策を強化すること。区内での放射能レベルを測定し公開すること。

原発問題について

  • 2011年3月20日 12:36 PM
  • 政策

東日本大地震による津波によって、福島原発で大変な事故が起こっています。とくに、放射能汚染による避難を強いられている現地の方々には、大変な負担を強いています。そして、現地では、これからも放射能汚染が続くと懸念されています。現地の皆様には心よりお見舞いを申し上げます。
われわれ日本共産党では、この国家的な危機に対して、経済産業省から独立した「原子力安全委員会」の役割をフル活用し、全国の原発問題の技術者、専門家を総結集させて事態に当たるように申し入れを行っています。
原発問題は、いまも予断を許さない事態が続いています。どうしてこんな事態になってしまったのでしょうか。わたしたちは、今回の事故は、原発の安全対策を後回しにして、原発をやみくもに推進してきた原子力行政による人災だと考えています。

とくに、福島原発に対して日本共産党では2007年の時点で、「福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ」を行っていましたが、東京電力はこれを無視し続けていました。申し入れの内容については下をクリックしてください。
http://www.jcp-fukushima-pref.jp/seisaku/2007/20070724_02.html
(日本共産党福島県議団)

この日本共産党の申し入れの中で、大津波が押し寄せた場合に、原発の冷却システムが破損する可能性に言及しており、冷却材喪失による過酷事故に言及しています。この過酷事故がいままさに福島原発で起こっている惨状であり、日本共産党はこのような事態に至らないようにと、警鐘を鳴らすと共に、改善するよう申し入れていたのですが、東電はこれを無視し、拒絶してきました。東電は「安全神話」に侵され、このような津波は「起こりえない」として、安全対策を疎かにしていたのです。

これは人災です。こんなことが許されていいのでしょうか。
われわれは、もう原子力に頼るのはやめるべきです。人間がコントロールできないものに手を出すべきではありません。わたしは今こそ、原子力行政から決別し、人間の暮らし、生活を最優先にした安全安心な自然エネルギーを活用すべきだと思います。また、そういった社会の構築のためにこそ、みんなで知恵を出し合いながら、協力すべきではないでしょうか。

東日本大震災の後、フランスのルモンド紙のインタビューに答えた大江健三郎さんの言葉を引用します。(共同通信の記事から)

大江健三郎さん「日本、再び核の犠牲に」

 ノーベル賞作家の大江健三郎さんは17日付フランス紙ルモンドのインタビュー記事で、東日本大震災に伴う福島第1原発の事故に触れ「日本の歴史は新たな局面に入った。再び(核の)犠牲者とのまなざしを浴びるということだ」との考えを示した。

 大江さんは記事で、第2次大戦中の広島と長崎への原爆投下に言及し「核の炎を経験した日本人は、核エネルギーを産業効率の観点で考えるべきではない。つまり成長の手段として追求すべきではないのだ」と表明。

 「地震や津波など今回の自然災害に際して、広島の経験を記憶に刻み付ける必要がある」とした上で「原発がいかに無分別なものかを証明した今回の過ちを繰り返すことは、広島の犠牲者の記憶に対する最悪の裏切りだ」として原発依存を強めている日本のエネルギー政策に対して強烈な異議を申し立てた。(共同)

 [2011年3月17日10時34分]

募金活動を行っています

3月11日に起きた東日本大震災の被害が、甚大なものになっています。
わたしたちが3月13日から連日続けている救援募金活動で、すでに12万円以上もの募金が集まりました。本当にありがとうございます。頂いた募金は速やかに現地にお届けいたします。
これからも、自由が丘駅前と都立大学駅前などで募金を行っていますので、今後ともご支援とご協力をお願いいたします。

東日本大震災の救援活動に全力をあげます!

  • 2011年3月14日 7:46 PM
  • 日常

3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震の被災地の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
また、大津波の犠牲になられた方に謹んで哀悼の意を表します。日本共産党目黒区議団と松嶋祐一郎事務所が、3月13日に企画しておりました区民センターでの演説会は、被害の甚大さを考慮し中止しました。ご迷惑をおかけいたしますが何卒ご了承ください。

この度の震災で日本共産党は、対策本部を設置しています。
全国の党支部で一致団結し、協力体制のもと救援活動に全力をあげる次第です。
この地域でも、近隣に住む高齢者のお宅で、テレビが落下して困っている、ブレーカーを調整してほしい、などの声があり、私自身が出向いて支援を行いました。

被災地、現地の方への支援も同時に行なってまいります。
本日、都立大学駅前で救援募金のお願いを行い、1時間の間に、46.899円の募金が集まりました。
ご協力いただき、本当にありがとうございました。
皆様から頂いた募金については、党中央を通じて責任を持って現地にお届けいたします。
今後も募金活動や支援物資を届ける活動などを行っていきます。

中目黒再開発とJR跡地の見学会

  • 2011年3月9日 2:50 PM
  • 日常

2月26日、日本共産党目黒区議団が行った中目黒再開発とJR跡地の見学会に行ってきました。区内全域から30人近くの参加者がありました。中目黒駅前にある165mのアトラスタワーの屋上に登ると、360度の眺望で、まさに東京が一望できます。

中目黒再開発に86億円の補助金が

この高層ビルの建設に、区は税金を86億円も投入しています。富裕層しか住めない、高級高層マンションの建設に、税金が投入されるのはおかしいのではないでしょうか。さらに、上目黒1丁目のJR宿舎跡地の開発も進めようとしています。このJR跡地は、都と区が32億円ずつお金を出し購入したもので、区営住宅などの公営住宅を整備する計画でした。

50年の定期借地権で大企業に便宜

ところが、区は従来の計画を変更して大企業に50年以上もの定期借地権で貸し出す計画にしてしまいました。どうして、区民の財産であるJR跡地を大企業の金儲けのために貸し出さなければならないのか。
いま、公営住宅に入りたいという声や、特養ホームが足りないという声が増えています。保育園も足りません。JR跡地を活用して、福祉施設や公営住宅を増やせば、区民の切実な要求に答えられます。日本共産党はいまこそ区民のために、区民の財産を活用すべきと今開かれている議会で区長に迫りました。

松嶋祐一郎のあゆみ 3

尼崎市の小学校を卒業して、中学1年の冬。阪神大震災が起きました。家で寝ていると大きな揺れが来て、目が覚めると布団と直角に寝ていたのを覚えています。家の中はむちゃくちゃで、電気もつかずに真っ暗でした。ちょうどそのとき、父は病気で危篤状態だったため、母親は病院に付きっ切りで、わたしは一人でした。当時13歳のわたしにとって、とても心細く恐ろしい体験でした。地震の翌日、父が亡くなりました。震災で死んだ人が多く、葬式の式場がどこもいっぱいで、わざわざ大阪の豊中市にまで葬式をしに行ったことを覚えています。「お父さん、震災で亡くなった人がいっぱいいるから、あの世へ行く道は寂しないで」と、寂しそうに笑いながら話している母親の顔が今でも忘れられません。神戸のように悲惨ではありませんが、父の死と含めて震災体験は、わたしの記憶にしっかりと刻み込まれています。

松嶋祐一郎のあゆみ 2

小学校に入学し、わたしは鈴木先生という素晴らしい先生に出会いました。他者をいたわり、みんなで支え合うことの大切さを学び、それがわたしに大きな影響を与えてくれました。この鈴木先生の教育方針の原点は、ラグビーでした。鈴木先生は、子どもたちのために、ラグビースクールを運営していたのです。ラグビーには、「One For All All For One」という有名な言葉があります。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」です。鈴木先生はつねにこの精神で、子どもたちを教えておられました。体が小さくいじめられていたわたしも、鈴木先生の勧めでラグビースクールに入り小学生の6年間通い続けました。(その影響で高校時代もラグビー部に入りました。)いまでも、鈴木先生は武庫川の河川敷で、元気に子どもたちにラグビーを教えています。夏休みには、河川敷にテントを張ってみんなで合宿をしたことは、忘れられない良い思い出です。

松嶋祐一郎のあゆみ 1

わたしは1982年の3月15日に兵庫県尼崎市で生まれました。一人っ子で、父母の愛情を一身に受けて育ちました。父は毎日仕事帰りに、日本の昔話などの絵本を買ってきてくれて、いつも寝る前に読んでくれました。そのころが一番幸せだったと今でも思います。幼稚園へ入園してからは、親から離れるのが嫌で、幼稚園へ行きたくないと、いつも朝泣いていたのを記憶しています。小学校へ入学する際も、不安でいっぱいでした。大人になるためにさまざまなことを学ぶ学校。親元から離れ、社会性を身につけるための第一歩を踏み出すとき、子どもながらに大きな不安を覚えました。そんなわたしは、背が小さくいつもおどおどしている子どもだったので、よく友達に意地悪をされたり、泣かされたりしました。そんなとき、小学生1,2年の担任だった鈴木先生がいつもわたしの味方になってくれました。鈴木先生は、いじめが起きたとき、弱いものいじめがなぜいけないのかを、必ずみんなで話し合う場所を作ってくれました。さらに、障がいを持つ友だちをいたわったり、みんなで支えあうことの大切さを教えてくれました。鈴木先生の教育は、今でもわたしに大きな影響を与え続けています。それは、他者の苦しみを自分のことのように考えることの大切さなのです。

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