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東日本大震災 被災地支援ボランティアのアーカイブ

石巻支援活動報告No3

こんにちは。わたしは引き続き、石巻市の被災地支援活動を行なっています。

9月11日は、三浦かずとし救援センター長を先頭に、大橋地域の仮設住宅へ救援物資のお届け活動をやりました。

【支援物資をお渡しする青年たち】
いま、本当に多くの若者が日本共産党のボランティアに参加し、直接被災者のお話を聞き、被災地の大変な状況を見ていきます。

わたしたちの支援物資お届け活動は、町会の会長からも感謝されました。


ボランティア活動の先頭に立つ三浦かずとし救援センター長は、本当に地域のみなさんに信頼されているなと感じました。

昨日(9月12日)は、神奈川川崎北部から来た6名と、東大の学生1名が参加し、被災したゴルフ場の草むしりを行ないました。ここにも2メートルの津波が来て壊滅しています。早くゴルフ場を再建させたいという地域の要望があり、懸命に活動に取り組みました。高齢者が多く、日中大変暑かったため、無理をせず、水分補給と休憩をしっかりとってゆっくり作業を行ないました。自分がきれいにしたところが明確に分かるため、重労働だが、みんなやりがいがあるとおっしゃっていました。

引き続き、石巻市で被災者支援活動をがんばっていきます!
よろしくお願いします。

石巻市 支援活動報告 No2

昨日は石巻市の蛇田中央公園仮設住宅で大規模な無料バザーを開催しました。千葉大学や多摩大学から15名以上の若者が、無料バザーのボランティアに参加。全国から集まった支援物資のお米と野菜120人分を用意。納豆屋さんから提供された人数分の納豆も配らせていただきました。今回のバザーでは何か被災者の役に立ちたいという若者がたくさん集まり、物資をひとりひとりに手渡していました。
仮設住宅にお住まいの住民のみなさんからは温かい笑顔があふれました。


【蛇田中央公園仮設住宅でのバザーを開催】


【青年たちが被災者一人一人に支援物資をお渡し】

また、東京中野区から来た美容師2名も、自分たちも何か被災者のお役に立ちたい!との思いから、仮設住宅の集会所で髪のカットのボランティアを行ないました。約50名の住民がお越しになり、カットを終えた住民からは次々と「ありがとう!うれしい」という感謝の声をいただきました。


【仮設の集会所で、美容師さんによるヘアカットのボランティア】

仮設住宅では被災者の方から、くらしの悩みや要望の聞き取りを行ないました。被災者の声を、政治に反映させ、被災者の立場で復興を前に進めなければなりません。とくに住宅ローンの問題や、自宅が壊されこれからどこに住んだらいいのか、という住宅の悩みが多かったです。


【津波で自宅を流されたという被災者の方から話を聞きました】

家を建て替えしたばかりなのに、津波で家が全壊。津波が引いてしばらくして家に戻ると、居間には知らない方の遺体があったそうです。地盤沈下しているし、もう自宅に戻ることはできない。自分の土地は、国が津波被害のメモリアル公園にするらしいが、国からは代替地などの説明はほとんどない。新しい土地で家を建てたいが、お金もなく見通しが全然見えない。国は早く方向性を示してほしいと話しています。今の生活も、仮設に入ることはできたが、年金暮らしで生活が厳しい。住宅ローンが残っているのに昨日銀行からローンを返済しろといわれた。一体どうしたらいいのか、と本当に切実なお話をしていただきました。

仮設住宅も、住みよい環境とはいえません。物干しスペースが小さい。物が置けない。雨が吹き込んでくる。これから冬になるが、壁に断熱材がなく、水道管が凍結したり、暖房の問題にみなさん不安を抱えていました。雨が降ると床が波打つなど、仮設住宅の粗悪さがわかりました。高齢者や障害者も多く、手すりやスロープを取り付けてほしいという声も切実でした。
住民が、市役所に相談にいくと、ほとんど相手にしてもらえなかったそうです。「仮設だから仕方ない、2年で出て行ってもらうのだから」というような対応。役所は仮設だから「がまんしろ」といっているようなものです。被災者のみなさんは本当にいま「がまん」しています。
これが被災者の実情です。


【被災者ひとりひとりから実情をうかがう青年】

こういう被災者の生の声を政治に反映させるために、みんなで力を合わせがんばっていきたいと思います。

石巻の災害支援活動にきています!

宮城県石巻での支援活動報告

9月5日から17日まで、宮城県石巻市にある日本共産党の災害対策センターで、救援物資の配布や、がれきの撤去などの支援活動を行う予定です。わた しは、今回で3度目の現地支援になります。東日本大震災から6カ月近くが経ち、少しは生活も改善しているかと思いましたが、被災者の生活はまだまだ大変で した。

いまだに避難所生活のかたも大勢いらっしゃいます。わたしは現地に到着した翌日から、津波被害が大きかった石巻の湊地区に入り、救援物資の配布バザーを行ないました。この日は、東京大田区から11名、東京で共産党のボランティア募集のポスターを見てやってきた青年1人、民青同盟の青年が1人とわたしを含め総勢 14名での活動。被災者約50名の方にお米や野菜、食器や生活用品などをお渡ししました。わたしはそこで被災者の方に「なにか困ったことや要望はないです か?」と聞くと、堰を切ったように切実な声が次々とあがりました。「病院も遠いし、商店も減って買い物も不便。漁業も壊滅。はやく以前の石巻に戻ってほし い」という現地の早期復旧を望む声や、「早く生活再建したいが、義援金が足りない」という声。「1階が津波でやられ自宅の2階で大変な思いで生活してい る。家の改修も食費も全部自己負担。つらい・・」こういう被災者の切実な声を、政治にきちんと反映させなければと感じました。

わたしがいる石巻市の日本共産党の救援対策センターは、いまも全国から続々と来るボランティアの受入れに大忙しです。今回新たに居住制限が解除された地区では、まだがれき除去や泥だしができていない家屋が多数あります。いまボランティアセンターで取り組んでいる、地震で壊滅した墓地の清掃ボランティアは、地域の方に大変喜ばれています。こういう活動に参加して、あらためてボランティア活動の重要性を実感しています。

東日本大震災 【気仙沼・女川町】 ボランティア活動にいきました

【気仙沼・女川町で支援活動を行いました】

日本共産党目黒区議団と松嶋祐一郎事務所は、7月30(土)~8月1日(月)の日程で、気仙沼、女川町へのボランティアに行きました。6月の石巻市でのボランティアに続き、2度目です。目黒全体で20代から60代まで総勢27名が参加。わたしたちが呼びかけて、地域のみなさまから寄せられた支援物資と、集めた募金で購入した野菜を届けてきました。

【仮設住宅で物資の供給】

30日早朝、気仙沼に到着し、現地の仮設住宅へ向かいました。被災から4ヶ月以上経ち、現地の支援体制は、泥だしやがれき処理などから、生活相談やきめ細かい要望を聞き、それを行政につなげていくような支援に切り替わってきています。わたしたちは、現地の共産党スタッフとともに、仮設住宅で不自由な生活をされている方々に、お米や野菜、生活用品などの物資をお届けし、さらに生活困りごと相談会なども同時に行いました。

【被災者からの切実な声】

会場には100人を越える被災者の方が駆けつけました。ボランティアを通じて被災者の方々と交流し、共産党にいろんな声が寄せられました。
「津波で全部流された。一からやり直しだ。早く国が助けてほしい。」
「仮設にクーラーがあっても、電気代がかかるから使えない」
「せっかく支援物資で持ってきてくれた大きな食器。ほしいが置く場所がない。仮設は狭くて大変」
「共産党とか、いろんな団体が支援物資をもってきてくれて、本当に助かる。ありがとう。でもこうして支援物資の列に並んでいると、自分が物乞いになった気がしてすごく悲しい。悔しい・・」
涙を流さんばかりに話していたおばあさんの言葉が胸にしみました。現地の被災者のリアルな気持ち、悲しみに触れた気がしました。

【国は被災者の生活再建のために力を尽くせ

被災者は、避難所から仮設住宅に移るとお金がかかります。国から援助金が届いたは良いが、食材や光熱水費も全部自己負担。ここに、住宅ローンや車のローンなどが残っていればさらに大変です。しかも、今の制度だと2年で仮設住宅をでなければなりません。これではとても生活再建などできないと、地元の共産党市議のお話がありました。被災者の借金やローンを免除することや、仮設住宅の環境改善など、国にできることはたくさんあります。

【地盤沈下で大変だった気仙沼】

午後からは、共産党気仙沼市議の秋山さんとともに、気仙沼の被害状況の視察に行きました。気仙沼港では、地盤沈下がひどく、海の近くでは満ち潮になると道路が潮水で冠水する状態です。約70㎝も地盤沈下しているそうで、港の復旧には相当な労力が必要だと感じました。漁業も、漁船や漁師などが立ち直っても、水産加工工場がつぶされており、水揚げすることができない。産業としての復興にはまだまだ時間がかかるとのお話でした。
このような気仙沼の状況で、大規模な復興計画が進む中、国や自治体は、住民の声をきちんと聞き、これからどのような気仙沼を再建していくのかしっかりと議論する必要があります。

【女川原発の視察へ】

2日目は、女川町へボランティアに向かいました。女川町も津波で甚大な被害を受けました。現地の仮設住宅で、支援物資をお届けするボランティアを行ったあと、女川町議、高野博さんから女川原発についてのお話を聞きました。13メートルの大津波に襲われた女川原発は、原子炉地下に1900トンの海水が流れ込み、5つの電源のうち4つが失われ、首の皮一枚でメルトダウンを免れたのでした。女川町は、女川原発からの交付金で潤っていた町です。高野町議は、そんな原発の町女川で、少数派ながら原発反対の立場で40年、奮闘してきた方です。女川原発建設反対運動から町議になり、その後、住民のくらしと安全を守るために議会で原発の安全対策を指摘し続けました。今回の大津波で、女川原発がメルトダウンに至らなかったのは、高野町議が40年に渡り女川原発の安全対策を、議会で質問し続け、安全対策を怠らせなかったことが大きかったと思います。現に、高野さんは東北電力からも感謝されているとおっしゃっていました。住民のくらしといのちを守るために、共産党の高野町議の果たした役割は大変大きなもので、本当に尊敬しました。

(女川原発)

【復旧復興は政治の責任で】

今回、支援活動に参加し、ボランティアを通じて住民の声を聞き、復旧復興に何が必要かを知ることができました。同時に、ボランティアでできることの限界も感じました。地盤沈下した気仙沼も、被災地の膨大ながれきの撤去も、被災者のローンの問題も、仮設住宅の問題も、ボランティアではどうにもなりません。やはり、住民の切実な声を、自治体や国に届け、政治そのものを動かして行くことが大切だと感じました。

【東日本大震災】宮城県石巻市へボランティアに行ってきました

わたしの区議選の選挙公約でもあった東日本大震災、被災地支援に行ってきました。
6月17日から19日まで二泊三日の、宮城県石巻市救援復興ボランティアです。今回は、事前にボランティアスタッフを募り、私を含め7名の方々が参加しました。活動内容は、現地の方へ野菜や物資を届けることと、津波被害による住居の泥だし作業です。支援物資については、日持ちのする野菜が欲しいという現地の要請で、松嶋事務所の隣の八百屋さんでじゃがいも、玉ねぎ、きゃべつ、オレンジ、かぼちゃなど野菜果物を調達。また、みなさんから寄せられた支援物資(コメ、缶ジュース、タオル、下着、雑貨類)もダンボールに詰め、ワゴン車に満載して現地に向かいました。

福島県内の放射線 高い数値が!!



17日早朝に松嶋事務所を出発し、東北道を北上。途中、福島原発事故の影響を調べるために福島県にある安積SAで放射線の測定を行いました。地面から1メートルの地点でも、目黒区内より2倍近い値(0.2μsv前後)を示し、植え込みや土壌近くだと、区内で測定する数値よりも二十倍近い値(2~3μsv前後)が出ました。福島原発に近ければ近いほど、放射線の影響が大きくなっていることがわかります。


腐敗臭のたちこめる石巻漁港

17日夕方に石巻市にある日本共産党震災救援対策センターに到着。早速、現地に泊り込みで対応に当たっているスタッフに現地を案内してもらいました。石巻漁港などを視察しましたが、現地の状況は、想像を絶するひどさでした。瓦礫の山が築かれ車が積み重なり、魚の死体が転がり、ものすごい悪臭が漂っています。幼稚園の送迎バスが流され5人の子どもが亡くなった現場では、ちょうどお母さんたち数名が子供の遺品を捜索している最中でした。石巻漁港では、水産加工場や冷凍倉庫がことごとくやられ、魚の腐った臭いがあたりに充満していました。死んだ魚の山にはものすごい数のかもめが群がっていました。

被災・失業の青年と対話
その日の夜、たまたま石巻の駅前で、ギターの弾き語りをしている30歳の男性と話しました。そのお兄さんは、自分のアパートも津波で浸水し、勤めていた会社も解雇されたといいます。津波の前からここで歌っていたが、津波があっても、仕事を解雇されても、みんなを元気づけるために、歌い続けたいと話していました。彼は会社から解雇の際に、30万ほど退職金の代わりにもらったそうです。けれど、被災者生活再建支援金と、国からの義援金の対象になっているが、未だに受付だけで現金が届いていないといいます。独身だと支援金、義援金をもらえればなんとか生活を立て直せるが、家族がいて家や車のローンがあったりすれば、生活再建などできないと話していました。「こんなときに国会では、被災者支援そっちのけにして不信任案提出したり、政治家はいったい何をしてるんだ」と怒っていました。彼の話を聞き、実情にあってない支援金の配分や、生活支援の不足など、まだまだ復興への課題が多いと感じました。

圧倒的に人手が足りない


18日は、早朝から救援活動に取り組みました。わたしたちのチームは、救援センターの指示に従い、石巻市八幡町のお宅で、庭の「泥だし作業」をすることになりました。周辺のお宅はほぼ全壊で、まわりに異様な匂いが立ち込めるなかでの作業でした。津波で流れてきたゴミとヘドロをスコップで土のう袋に詰め、一輪車で運ぶ作業は、本当に重労働で大変でした。感染症の心配から、マスクに長袖長ズボン長靴だったため、みんな汗だくになりながらの作業でした。

石巻の海岸や河口付近は、津波で壊滅的です。けれど、地元の人達は復興に向けて一生懸命がんばっています。自分たちのふるさと石巻を、もとの美しい石巻に戻したい。その気持から、復興作業をがんばっています。家の泥だしや、瓦礫の処理。漁業関係者は、死んで腐った魚の処理、農業の方は、畑のヘドロ出し。どれもこれも気が遠くなるような重労働で、現地の人たちはへとへとでした。現地はいま本当に人出不足です。手伝えることはいくらでもあります。わたしたちは現地に行ってそれを実感しました。

お届け隊は大好評



19日最終日は、石巻市鹿妻南公園にて救援物資のお届けと、豚汁の炊き出しに参加しました。公園を会場にして、救援センターから物資を運び、バザー形式で野菜や雑貨、衣料品などをお届けしました。タオル、バスタオルや子供服、食器などにみんなが殺到し、2時間ほどですぐになくなりました。津波で生活用品がすべて流され、物資がぜんぜん足りないと話していました。まだまだ物資の支援が必要です。現地からはたくさんの感謝の声が寄せられました。わたしたちにできることはまだまだたくさんあると実感しました。

東日本大震災 救援ボランティア募集
松嶋祐一郎事務所では、第二弾として引き続き救援活動に向かいます。

●救援先 宮城県東部地区

●日時 7月30日(土)~8月1日(月)まで

●申し込み先 松嶋祐一郎事務所

●電話 090-9880-4234

●メール matsushima.meguro@gmail.com

支援物資のお願い

使わない食器や、衣類、生活雑貨、日用品などありましたら、ぜひ松嶋祐一郎事務所までお寄せください。救援ボランティア第二弾で、責任をもって、被災者のもとへお届けいたします。

宮城県石巻市 震災ボランティアへ

明日から、19日日曜日まで宮城県石巻市へ救援復興のボランティアへ参加してきます。
こちらで大型の車を用意し、地域の方々と復興支援に向かいます。
今回は、支援物資のお届けと、復興活動のお手伝いをしてきます。

この間、支援物資や募金のご協力、ボランティアスタッフの登録などのお願いをし、多くの支援が寄せられています。
みなさまから頂いた支援物資は、必ず被災された皆様に直接お届けさせていただきます。
また、現地の状況など、ツイッターなどでレポートしていきますので、よかったらご覧になってください。

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