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松嶋祐一郎のあゆみのアーカイブ

松嶋祐一郎のあゆみ 3

尼崎市の小学校を卒業して、中学1年の冬。阪神大震災が起きました。家で寝ていると大きな揺れが来て、目が覚めると布団と直角に寝ていたのを覚えています。家の中はむちゃくちゃで、電気もつかずに真っ暗でした。ちょうどそのとき、父は病気で危篤状態だったため、母親は病院に付きっ切りで、わたしは一人でした。当時13歳のわたしにとって、とても心細く恐ろしい体験でした。地震の翌日、父が亡くなりました。震災で死んだ人が多く、葬式の式場がどこもいっぱいで、わざわざ大阪の豊中市にまで葬式をしに行ったことを覚えています。「お父さん、震災で亡くなった人がいっぱいいるから、あの世へ行く道は寂しないで」と、寂しそうに笑いながら話している母親の顔が今でも忘れられません。神戸のように悲惨ではありませんが、父の死と含めて震災体験は、わたしの記憶にしっかりと刻み込まれています。


松嶋祐一郎のあゆみ 2

小学校に入学し、わたしは鈴木先生という素晴らしい先生に出会いました。他者をいたわり、みんなで支え合うことの大切さを学び、それがわたしに大きな影響を与えてくれました。この鈴木先生の教育方針の原点は、ラグビーでした。鈴木先生は、子どもたちのために、ラグビースクールを運営していたのです。ラグビーには、「One For All All For One」という有名な言葉があります。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」です。鈴木先生はつねにこの精神で、子どもたちを教えておられました。体が小さくいじめられていたわたしも、鈴木先生の勧めでラグビースクールに入り小学生の6年間通い続けました。(その影響で高校時代もラグビー部に入りました。)いまでも、鈴木先生は武庫川の河川敷で、元気に子どもたちにラグビーを教えています。夏休みには、河川敷にテントを張ってみんなで合宿をしたことは、忘れられない良い思い出です。


松嶋祐一郎のあゆみ 1

わたしは1982年の3月15日に兵庫県尼崎市で生まれました。一人っ子で、父母の愛情を一身に受けて育ちました。父は毎日仕事帰りに、日本の昔話などの絵本を買ってきてくれて、いつも寝る前に読んでくれました。そのころが一番幸せだったと今でも思います。幼稚園へ入園してからは、親から離れるのが嫌で、幼稚園へ行きたくないと、いつも朝泣いていたのを記憶しています。小学校へ入学する際も、不安でいっぱいでした。大人になるためにさまざまなことを学ぶ学校。親元から離れ、社会性を身につけるための第一歩を踏み出すとき、子どもながらに大きな不安を覚えました。そんなわたしは、背が小さくいつもおどおどしている子どもだったので、よく友達に意地悪をされたり、泣かされたりしました。そんなとき、小学生1,2年の担任だった鈴木先生がいつもわたしの味方になってくれました。鈴木先生は、いじめが起きたとき、弱いものいじめがなぜいけないのかを、必ずみんなで話し合う場所を作ってくれました。さらに、障がいを持つ友だちをいたわったり、みんなで支えあうことの大切さを教えてくれました。鈴木先生の教育は、今でもわたしに大きな影響を与え続けています。それは、他者の苦しみを自分のことのように考えることの大切さなのです。


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