【東日本大震災】宮城県石巻市へボランティアに行ってきました

わたしの区議選の選挙公約でもあった東日本大震災、被災地支援に行ってきました。
6月17日から19日まで二泊三日の、宮城県石巻市救援復興ボランティアです。今回は、事前にボランティアスタッフを募り、私を含め7名の方々が参加しました。活動内容は、現地の方へ野菜や物資を届けることと、津波被害による住居の泥だし作業です。支援物資については、日持ちのする野菜が欲しいという現地の要請で、松嶋事務所の隣の八百屋さんでじゃがいも、玉ねぎ、きゃべつ、オレンジ、かぼちゃなど野菜果物を調達。また、みなさんから寄せられた支援物資(コメ、缶ジュース、タオル、下着、雑貨類)もダンボールに詰め、ワゴン車に満載して現地に向かいました。

福島県内の放射線 高い数値が!!



17日早朝に松嶋事務所を出発し、東北道を北上。途中、福島原発事故の影響を調べるために福島県にある安積SAで放射線の測定を行いました。地面から1メートルの地点でも、目黒区内より2倍近い値(0.2μsv前後)を示し、植え込みや土壌近くだと、区内で測定する数値よりも二十倍近い値(2~3μsv前後)が出ました。福島原発に近ければ近いほど、放射線の影響が大きくなっていることがわかります。


腐敗臭のたちこめる石巻漁港

17日夕方に石巻市にある日本共産党震災救援対策センターに到着。早速、現地に泊り込みで対応に当たっているスタッフに現地を案内してもらいました。石巻漁港などを視察しましたが、現地の状況は、想像を絶するひどさでした。瓦礫の山が築かれ車が積み重なり、魚の死体が転がり、ものすごい悪臭が漂っています。幼稚園の送迎バスが流され5人の子どもが亡くなった現場では、ちょうどお母さんたち数名が子供の遺品を捜索している最中でした。石巻漁港では、水産加工場や冷凍倉庫がことごとくやられ、魚の腐った臭いがあたりに充満していました。死んだ魚の山にはものすごい数のかもめが群がっていました。

被災・失業の青年と対話
その日の夜、たまたま石巻の駅前で、ギターの弾き語りをしている30歳の男性と話しました。そのお兄さんは、自分のアパートも津波で浸水し、勤めていた会社も解雇されたといいます。津波の前からここで歌っていたが、津波があっても、仕事を解雇されても、みんなを元気づけるために、歌い続けたいと話していました。彼は会社から解雇の際に、30万ほど退職金の代わりにもらったそうです。けれど、被災者生活再建支援金と、国からの義援金の対象になっているが、未だに受付だけで現金が届いていないといいます。独身だと支援金、義援金をもらえればなんとか生活を立て直せるが、家族がいて家や車のローンがあったりすれば、生活再建などできないと話していました。「こんなときに国会では、被災者支援そっちのけにして不信任案提出したり、政治家はいったい何をしてるんだ」と怒っていました。彼の話を聞き、実情にあってない支援金の配分や、生活支援の不足など、まだまだ復興への課題が多いと感じました。

圧倒的に人手が足りない


18日は、早朝から救援活動に取り組みました。わたしたちのチームは、救援センターの指示に従い、石巻市八幡町のお宅で、庭の「泥だし作業」をすることになりました。周辺のお宅はほぼ全壊で、まわりに異様な匂いが立ち込めるなかでの作業でした。津波で流れてきたゴミとヘドロをスコップで土のう袋に詰め、一輪車で運ぶ作業は、本当に重労働で大変でした。感染症の心配から、マスクに長袖長ズボン長靴だったため、みんな汗だくになりながらの作業でした。

石巻の海岸や河口付近は、津波で壊滅的です。けれど、地元の人達は復興に向けて一生懸命がんばっています。自分たちのふるさと石巻を、もとの美しい石巻に戻したい。その気持から、復興作業をがんばっています。家の泥だしや、瓦礫の処理。漁業関係者は、死んで腐った魚の処理、農業の方は、畑のヘドロ出し。どれもこれも気が遠くなるような重労働で、現地の人たちはへとへとでした。現地はいま本当に人出不足です。手伝えることはいくらでもあります。わたしたちは現地に行ってそれを実感しました。

お届け隊は大好評



19日最終日は、石巻市鹿妻南公園にて救援物資のお届けと、豚汁の炊き出しに参加しました。公園を会場にして、救援センターから物資を運び、バザー形式で野菜や雑貨、衣料品などをお届けしました。タオル、バスタオルや子供服、食器などにみんなが殺到し、2時間ほどですぐになくなりました。津波で生活用品がすべて流され、物資がぜんぜん足りないと話していました。まだまだ物資の支援が必要です。現地からはたくさんの感謝の声が寄せられました。わたしたちにできることはまだまだたくさんあると実感しました。

東日本大震災 救援ボランティア募集
松嶋祐一郎事務所では、第二弾として引き続き救援活動に向かいます。

●救援先 宮城県東部地区

●日時 7月30日(土)~8月1日(月)まで

●申し込み先 松嶋祐一郎事務所

●電話 090-9880-4234

●メール matsushima.meguro@gmail.com

支援物資のお願い

使わない食器や、衣類、生活雑貨、日用品などありましたら、ぜひ松嶋祐一郎事務所までお寄せください。救援ボランティア第二弾で、責任をもって、被災者のもとへお届けいたします。

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【東日本大震災】宮城県石巻市へボランティアに行ってきました” に対して4件のコメントがあります。

  1. 本当にお疲れ様でした。ご無事で何よりです。WBCを受けられれば一番いいのですが、難しいですよね。
    この掛け替えのない経験をぜひ、くり返し街頭で伝えてください。実感ある言葉は、必ず有権者の心に届きます。そしてその届いた思いこそが、真の復旧復興への、脱原発への世論のうねりとなるはずです。

  2. admin より:

    ご心配いただきありがとうございました。
    福島の避難地域に指定されずに放射線量が高い地域では、みんな何事もなかったように同じような日常を過ごしています。

    みなさんの胸に届くように街頭での宣伝がんばっていきます。
    今後ともよろしくお願いします。

  3. takada keiko より:

    若いみなさんが、ボランティアに行ってくださると、ほんまに、心強いです。こうした共産党の、被災者の心に寄り添った活動、真摯な政治姿勢を、もっともっと、たくさんな方々に知っていただくと、国民の政治への不信感も払拭されるでしょうね。物資を送りたいので、送付先アドレスを送信してください。私は、滋賀県琵琶湖岸に居住しています。こちらでも、近畿地方1400万人の飲み水である琵琶湖を、原発事故から守るために、敦賀原発ストップのうんどうをおこしています。

  4. 松嶋 祐一郎 より:

    コメントをいただきありがとうございます。
    お返事が遅くなって申し訳ありません。
    これからも被災者救援に全力をつくしてがんばっていきます。
    原発をなくす運動も、講演会を開いたり、署名運動やったりして地域でがんばっています。敦賀原発も一刻も早くやめてほしいですよね。

    救援物資の送り先は、152-0023 東京都目黒区八雲1-8-4 
    松嶋祐一郎事務所です。電話は090-9880-4234です。よろしくお願いします。

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